※このエントリーは「エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテスト」を執筆した際、適当に見つけた小ネタを寄せ集めてもう一つなにか書こうと思い立ったものの、画像だけ用意してから2年間ばかり放置していました。
第一回 ゲーム・ホビープログラムコンテスト募集期限 1982年2月20日
結果発表 1983年1月15日 朝日新聞紙上
最優秀プログラム賞(100万円)
森田のバトルフィールド 森田和郎 (PC-8801)
優秀プログラム賞(50万円)
ドア・ドア 中村光一 (PC-8801)
マリちゃん危機一髪 槙村ただし (FM-8・FM-7)
入選プログラム優秀賞(10万円)
宇宙の戦士 岡田良行 (PC-8001)
D・I・S エアポート 藤原誠司 (X-1)
入選プログラム賞(10万円)
地底のモンスター 長谷川修 (PC-8001)
星子のアドベンチャー 浅沼利行 (PC-8001)
ラブマッチテニス 堀井雄二 (PC-6001)
バクテリアエスケープ 橋下友茂 (FM-8)
暴走オリエント急行 長瀬俊之 (MZ-1200)
ピラニア君の一週間 白井篤 (MZ-2000)
ナポレオン 島田弘明 (PC-6001)
ポーカーエキストラ 川口真弘 (MZ-80B)
※受賞作は全て同年2月に市販化された。
第2回 ゲーム・ホビープログラムコンテスト募集期限 1983年8月20日
結果発表 1983年9月15日 朝日新聞紙上
最優秀プログラム賞(100万円)
FANFUN 宮田康宏 (PC-8001)
優秀プログラム賞(50万円)
ドクロンの館 後藤貴士 (X1)
芸夢狂人の宇宙旅行 鈴木孝成 (PC-8001mkII)
入選プログラム賞(10万円)
ロリータ・シンドローム 望月かつみ (FM7)
不思議な旅 杉江正 (FM7・FM8)
マグネチックフィールド 秋山秀行 (PC-6001)
MAZE LAND 清水孝司 (MZ-700)
チェッカーフラッグ 青葉政男 (PC-8001ほか)
コスモクラッシュ 長谷川和寛 (FM7)
限りなき戦い 石川博 (X1)
トロピカルボーイ 中沢毅 (PC-8001)
プッシュマン 土方雅之 (PC-8001ほか)
Lovely飛鳥 小田原浩幸 (FM7)
※受賞作は全て同年10月に市販化された。
第3回 ゲーム・ホビープログラムコンテスト募集期限 1984年9月15日
結果発表 1984年10月31日以降に発売される主なマイコン雑誌誌上
(選考に時間がかかったため、発表は12月に延期された)
エニックスソフトウェア大賞森田和郎の将棋 森田和郎 (PC-9801)※
優秀プログラム賞頭脳4989 大橋一雄 (PC-8801)※
Tokyoナンパストリート 関野ひかる (FM-7)※
ブルーフォックス 武部暁昌 (FM-7)※
入選プログラム賞アゲイン 山口祐平 (FM-7)※
JAIL BIRD 宮田康宏 (PC-8001)※
Axiom 杉山智則 河村政雄 (PC-8801)
審査員賞(50万円)
キャプテン 下平英寿 (FM-7)
キャブアップ 杉浦成史 (MZ-2200)
ローリングペーパー 竹内洋一 (PC-8801)
オリーブ-2 小山泰博 (PC-6001)
バッカス 青山学 (PC-9801E)
HOPPY 安倍信彦 (PC-8001mkII)
佳作(10万円)
バクテリア・パニック 千野田光夫
A・G・C 大原英郁
POX 青沼実
ハイブリード 藤森正行
Town-Scape 出口直
※受賞作中、6作品のみ同年12月中に市販された。
中村光一と森田和郎 その後のデッドヒート第1回コンテストの受賞作が市販化され、最も売れた受賞作は『ドア・ドア』で、『森田和郎のバトルフィールド』がそれを追う形になった。
同年6月に森田和郎の『アルフォス』が発売される。
アルフォス(PC-8801)
『ゼビウス』に影響を受けた縦スクロールシューティングであり、内容をそのまま移植したコピーゲームではないものの、エニックスの意向により、ゲーム画面にナムコのコピーライトが挿入されている。
後にエニックスはナムコの許諾を得て、PC-8801およびPC-9801に『ゼビウス』を移植している。なおPC-8801版の制作者は芸夢狂人。移植の許可を得たにも関わらず、ナムコからはデータを一切もらえなかったので、ゲーム雑誌等の関連本を参照して開発したそうな。
一方、中村光一は『ドアドア』の次回作として『ニュートロン』を制作しており、パソコン雑誌の広告にも掲載されていたのだが、開発が非常に長引き、発売は翌年に持ち越されることとなった。
ニュートロン(PC-8801版)
チュンソフトの初期スタッフがクレジットされているが、もちろんこのメンバーが後に『ドラゴンクエスト』の制作を手掛けることになる。
『ニュートロン』のロード画面では
半裸の可愛い女の子が表示される。やはり中村光一もロリ……時代の風潮には抗えなかったのか。
なお、堀井雄二の1984年の著作『いきなりパソコンがわかる本』(二見書房)では「『ドアドア』を作った中村くんが、つぎのゲーム『ニュートロン』を完成させるまで1年以上かかったが、女にうつつを抜かしていたためである」と書かれているが、真相はいかに……?
パソコン雑誌『ログイン』の「読者が選ぶトップ20」では、森田和郎の『アルフォス』が1983年のトップを獲得した。中村光一の『ドアドア』は3位、『森田のバトルフィールド』は9位、堀井雄二の『ポートピア連続殺人事件』は13位だった。トップ20作品中4作品がエニックスのソフトで、メーカー別でもトップである。1983年はエニックスの年だったのだ。
ログイン 1984年4月号(アスキー)
槙村ただしと『野球拳』『マリちゃん危機一髪』で第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト優秀賞を勝ち取った槙村ただしだが、最優秀賞の森田和郎と同様、自らコンテストに応募したのではなく、エニックスからの誘いを受けて参加することになった。
――「マリちゃん危機一髪」はどういうきっかけで作られたのでしょうか?
真樹村 その前にT電機の「野球拳」というゲームを作ったのですよ。それが発売されたら、旧にパソコンのモニタ売り場で女の子の絵が表示されるようになっていましてね。
――すごく売れたのではないですか?
真樹村 そうなんでしょうけど、5万円ぐらいで買い取りだったかな。
(中略)
――その後、E社の「ホビープログラムコンテスト」に応募されたのですか。
真樹村 いえ、『野球拳※』がテレビで紹介されたのですよ。それをE社の人が見て、「野球拳と同じようなものを作ってくれ」と言われて。でも「まったく同じではなぁ」と考えてみたのですよ。
アスキー書籍編集部『みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコンPC-8001・PC-6001』アスキー,2005年
当時、アマチュアプログラマーが作成したゲームプログラムを、ショップが一括で買い取って、パッケージ化してユーザーに販売するというスタイルは珍しくなかった。
そのようなゲームが溢れる中、テレビでも紹介され、ゲームソフトの販売業に乗り出したばかりであったエニックスの担当者が「
これだ!」と、槇村に白羽の矢を立てたという、その『野球拳』とは、いかなるゲームだったのか。
週刊少年ジャンプ 1982年 No.40 9月20日号(集英社)
片膝を立てた姿態がとってもセクシーですね。
それまでにも
女性が脱ぐ野球拳を題材にしたコンピュータ・ゲームは無かったわけではないのだが(興味がある人は「ハドソン 野球拳」でググるがよろし)槙村ただしは、あの永井豪の門下のれっきとしたプロ漫画家である。全国の青少年のハートをわしづかみにするのはお手の物だったのだ。
しかし、安直な二番煎じのゲームでコンテストに応募するのは、槙村のプライドが許さない。
そして試行錯誤を重ねて出来上がった『マリちゃん危機一髪』は、『野球拳』のエロティシズムにさらなる要素を加味した、コンテストの優秀賞にふさわしい傑作であった……。
「マリちゃん危機一髪」誌面広告
エロ & バイオレンス!槙村ただし及び『マリちゃん危機一髪』の内容に関しては下記エントリーでも触れておりますのでご参照ください。
水晶のドラゴンクエスト ~ または「あぶないみずぎ」に関する一考察
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-89.html
宮田康宏と岡田良行 遅すぎたスターデザイナー週刊少年ジャンプ1983年 No.49 11月21日号(集英社)
「ザクセス」誌面広告
『FANFUN』で第2回最優秀プログラム賞を受賞した宮田康宏は大学1年生。
受賞後もエニックスより『ニューファンファン』『ザクセス』の2作を送り出す。
その後、ゲーム開発から手を引いたのか、その名をゲーム関連誌で見ることは無くなった。
奇しくも、宮田はあの中村光一と同年齢であった。
もし、第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに宮田が応募していれば。
あるいは、中村が第1回を諦め、第2回に応募していれば。
歴史は大きく変わったのかもしれない。
週刊少年ジャンプ1983年 No.14 3月21日号(集英社)
『宇宙の戦士』で第1回入選プログラム優秀賞を受賞した岡田良行は医学生、歳は20代半ばであったが、受賞後も意欲的にゲームを製作し、『宇宙の戦士』と並行して作っていたという『スリーピー・シェリフ』は第1回ポニカ・オリジナル・プログラム・コンテストに入賞。エニックスからも『ライトフリッパー』が市販される。
「スリーピーシェルフ」誌面広告
「ライトフリッパー」誌面広告
また、週刊少年ジャンプのゲーム・アイデア・コンテストでは、森田和郎、中村光一らとともに審査員を努めている。
週刊少年ジャンプ 1984年 NO.5.6 1月23日号(集英社)
優れた能力の持ち主であったが、やはり医師になるのが将来の目標であったため、その後、ゲーム制作からは手を引いたようだ。
盛り上がらない第3回ゲーム・ホビープログラムコンテストログイン 1985年1月号(アスキー)
エニックス社長・福嶋康博が「回を追うごとに作品の質が低下していった」と嘆き、結局、ゲーム・ホビープログラムコンテストは3回で終焉を遂げた。
大賞は『森田和郎の将棋』。森田和郎は既に実力も知名度も折り紙つきのプロであり、あきらかな出来レースである。
また、入選プログラム賞を受賞した山口祐平の『アゲイン』は、受賞前から販売が決まっていたものと思われる。というのも、すでに山口祐平が製作したADV『暗黒城』がエニックスから販売(1984年7月)されていたからだ。
(また、『暗黒城』『アゲイン』は両作ともに森田和郎のソフトメーカー、ランダム・ハウスがプログラムを手がけている)
『暗黒城』誌面広告
『アゲイン』誌面広告
更には、こんな珍事もあった。
第3回ゲーム・ホビープログラムコンテストの入選作で、ソフト発売前の広告も出していた『ポーリー』が、別会社が主催していたゲームコンテストの入賞作と酷似していると判明した。
どうやら作者は、ほとんど内容が同じゲームをタイトルだけ変えて、別々に応募していたようだ。
結局、コンテストの入選作を発表するスペースを、お詫びのメッセージに差し替えることになってしまった。
『ポーリー』誌面広告
第2回アスキーソフトウェアコンテスト入賞作『CORON』
お詫び
※ちなみに、エニックスのコンテストの結果が発表される当初の予定日は1984年10月31日で、アスキーのコンテストは11月18日であった。予定通りに事が進めば、エニックスが先に『ポーリー』の入選を発表できたのだが、コンテストの選考が長引き、結果発表を延期したため、アスキーに先を越されてしまったことになる。
また、アスキー・ソフトウェアコンテストの募集要項では「二重投稿」は禁じられているが、エニックス・ゲーム・ホビープログラムコンテストの募集要項では「二重投稿」を禁じる項目は見られない。
おそらく、先にコンテスト結果を発表したアスキーと協議した上で、エニックス側が同作の入選を取り下げたものと思われる。
良質なアマチュア・ゲームの不作。
わずか2年足らずで、時代は移り変わっていた。
第3回ゲーム・ホビープログラムコンテストは、何も生み出さなかったのか。
いや、一つだけ、希望が残っていた。
エロという名の星のもとに。
関野ひかる『TOKYOナンパストリート』と“あの男”『TOKYOナンパストリート』誌面広告
第3回ゲーム・ホビープログラムコンテスト優秀プログラム賞受賞作
『TOKYOナンパストリート』
「あのドラクエのエニックスが
エロゲー恋愛シミュレーションゲームを出していた!」というトリビアでよく取り上げられるゲームソフトであるが、それは全くの誤解でも何でも無く、街をうろついて女の子に声をかけてあの手この手で口説いてホテルに連れ込んでオスの目的を達成するという、まごうかたなき
エロゲー恋愛シミュレーションゲームである。
なお、作者の関野ひかるはマンガ家であり、同ゲームの広告でも、自らの筆でマンガを描いていた。
どうやらゲーム・ホビープログラムコンテストにはマンガ家枠があるらしく、第1回は『マリちゃん危機一髪』の槙村ただし、第2回『ロリータ・シンドローム』の望月かつみであった。しかも全員
エロに走っている。不思議だね。
閑話休題。
ゲームを始める際の、データを読み込んでいるロード中に、スタッフクレジットが表示されるが、よーく目を凝らして眺めて頂きたい。
『TOKYOナンパストリート』
Cooperation for Development … YUJI HORII (Freelance-Writer.Programmer)
制作協力 堀井雄二ちゃっかりとクレジットされているが、関野ひかるは堀井雄二と同門(早稲田大学漫画研究会)であり、先にゲーム・ホビープログラムコンテストに入賞し、ゲームデザイナーとして名を馳せていた堀井雄二の影響を受けて
エロゲー恋愛シミュレーションゲームの制作を始めたことは想像に難くない。
『TOKYOナンパストリート』
寝ている主人公が、電話が鳴る音で目覚める。
なお、後年に一大旋風を巻き起こした
エロゲー美少女ゲームソフトの名作『同級生』(エルフ 1992年)の冒頭でも、主人公が電話によって目覚めるところからゲームが始まるが、これは『TOKYOナンパストリート』のオマージュと言っても差し支えないだろう。
『ドラゴンクエスト』シリーズにおいても、主人公がベッドで目覚めるシーンから始まる事が多い。これは主人公(=あなた)がゲームの世界に入り込むための、導入部の工夫である。
『ドラゴンクエスト』も
エロゲー恋愛シミュレーションゲームも、根幹にある精神はひとつ。
もう一つの人生を楽しむこと。
人生はロールプレイング。
Fin
※作者の関野ひかる氏は会社を設立しており、同社のサイトでは『TOKYOナンパストリート』を「「恋愛シミュレーションゲームの元祖」と(なるべくなら)呼んでほしい」と書かれているので、一部の表現を自重した次第です。
アートラクト
http://www.artract.co.jp/index_2.htm#top2004年に堀井雄二氏、関野ひかる氏ら、当時の漫研メンバーが集った光景が、さくまあきら氏のサイトで見られます。
さくまあきらのホームページ
http://sakumania.com/diary/nikki/041211.html参考文献:ワシの脳内にたくさん