'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (1) 堀井雄二×糸井重里 対談 テレビゲームに何ができるか


広告批評 '87年7月号 特集 ファミコン大研究

テレビゲームに何ができるか 堀井雄二(ゲームデザイナー) 糸井重里(コピーライター) (要約)


広告の専門誌であると同時に、80年代以降のサブカルチャーの牽引役でもあった雑誌「広告批評」は、かなり早い時期から「新しい文化」としてのテレビゲームに着目していました。

この企画は「ファミコン大研究」と銘打っているものの、ほとんどDQ2の特集記事です。堀井雄二✕糸井重里の対談にはじまり、鳥山明、中村光一、すぎやまこういち各氏のインタビュー。高橋源一郎、いとうせいこう、鴻上尚史らのゲーム・DQ論。田尻智の「ファミコン名作ゲーム10選」など盛りだくさんの内容です。DQに関する話題をピックアップして、全3回に分けてご紹介します。


広告批評 記事リンク


'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (1) 堀井雄二×糸井重里 対談 テレビゲームに何ができるか
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (2) 鳥山明 すぎやまこういち 中村光一 インタビュー
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-10.html

'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (3) 高橋源一郎 鴻上尚史 いとうせいこう
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-11.html

'88年3月 広告批評 堀井雄二インタビュー “もう一つの人生”の共同製作者です
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-12.html

『広告批評』主宰者 天野祐吉が語るドラゴンクエスト
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-13.html












糸井 僕、いま二度目を始めたんですよ。
堀井 好きですねえ。(笑)
糸井 王子の名前を“ちんちん”に変えてね。これが面白いの。「ちんちんは打撃を受けた」とか(笑)、「ちんちんよ、死んでしまうとは情けない」とか、笑えるんだよね。出てくるモンスターや呪文の名前は、堀井さんがつけるんでしょう。
堀井 そうです。あれはいろんな制約があってね、使えるカタカナを書き出したあと、それをああでもない、こうでもないと組み合わせて、なんとなく印象で決めていくんです。
糸井 「シドー」なんか、うまいね。大物っぽくて。
堀井 けっこう名前は悩むんですよ。らしくないとかね。




糸井 僕は「ドラクエ」に関しては、この十年で、人のクリエーティブで一番感動したものだって言いふらしているんだけど、僕自身もこのおかげで、本を書く気がまったくなくなりましたね。小説も、もう一つくらい書いてもいいかなと思ってたのが、完全に消えちゃった。
堀井 ゲームデザイナーに転身ですか。
糸井 うん。僕にとって堀井さんは幻の師になっちゃってるから、なんとか堀井さんにほめてもらえるゲームを作りたいと思って、実は押し売り的にひとつゲームを作りはじめているんです。そうしたらちょうど「さんまの名探偵」みたいに、“監修糸井重里”でゲームを作ってみませんかっている話があってね、「監修」じゃなく、「本気でやります」って、いま言おうとしているところなんです。




糸井 本だったら、100万部ですごいベストセラーでしょう。しかも、本は買っても読まないやつがいるけど、ゲームソフトはいないですよ、買ってやらないやつなんて。それも考えたんですね、僕は。やらないやつはいないという喜び。
堀井 それに、子供は貸し借りが多いですからね。実際には、もっとたくさんの人が使ってる。
糸井 テレビの視聴率として考えてみても、熱心に画面を見てる数でいえば、「ドラクエ」にまさるものはないでしょうね。




糸井 ドラクエ自体のストーリーの中に自分だけのストーリーが加わるんですね、微妙に行間に。だから、やってる方は、ゲームをしながら創作もしてる。たとえば、最初は海に出るとしんどいじゃない。だけど、慣れてくると、海はあんまり強い敵が出てこないから、むしろ平和な場所なんですね。すると、「海はいいなあ」なんて、自分のセリフが加わるわけね、どんどん。あと、疲れ果てると僕は1の時のアレフガルドに行きたくなる。実際には行かないんだけど「戻りたいなあ、ふるさとに」なんて。(笑)
堀井 そういう気持を僕が初めて感じたのは、アップルのパソコンゲームだったんですね、「ウィザードリー」というゲーム。夢中になってたときは、二カ月間仕事をしなかったですからね。で、そのときにデッディリングというのを拾ったの。それを売ったら、えらいお金になってね、これはすごいやと思ったら、二度と出てこなかった。ほんと悲しくてね、「私がデッディリングをなくしたとき」という論文を書こうかと思ったくらい。そういう思いが、ゲームを作りたいという気持ちに結びついたんですね。




糸井 話を表現の問題に戻すと、ファミコンの世界では、紋切型が許されるんですね。ようするに、“愛”と言えば“愛”なわけ。小説というのは、いまはもう紋切りじゃないところにいきたくなるから、そのぶんどんどんつまらなくなる。小説を書こうとすると、自分の頭の中でそのつまらないものが書きたくなるでしょ。そうすると、もう一度自分でそんなこといいじゃないって言いたくなるね。
堀井 確かに平気でクサイことが言えるのは快感ですね、はっきり言って。




糸井 僕はIの途中からノートをつけはじめて、IIは最初からつけるって決めてた。自分だけのハンドブックの完成品を作りたくて、強さなんかも経験値が上がるたびに控えてったの。そこまでやってもあんまり意味なかったけどね。
堀井 子供は何回もやるみたいですね。ハーゴンを倒したあとでも、レベルはいくつまで上がるんだろうとか、アイテム集めといって道具を全部そろえたりして、楽しんでいる。
編集部 それにしても、こういうものを子供たちがぱっぱとやるようになったら、どんどん要求水準が高くなるでしょうね、次に出てくるゲームへの。
堀井 だから、今後が難しいですね。より難しくしようか、でも、これ以上難しくしたら、大半が投げちゃうんじゃないか。
糸井 受け手の立場で言えば、難しさは同じくらいじゃないとイヤですね。II以上になっちゃうと、僕は自分ではダメだと思う。なぜかと言うと、難しくなるなり方が、何かを探すときにツークッション置くとか、迷路をもっとふやすとか、そういう次元に行っちゃうような気がするの。とすると、やっぱりIIぐらいが、僕にとっては限界なんですね。
堀井 でも、難しさは変わらなくても、面白さは当然二倍になって欲しいでしょう。プレッシャーがかかりますね。




堀井 IIIを作るとしたら、もっとテンポを上げなきゃいけないと思うんですね。もっとレベルの上がるのが早くて、もっとポンポン話が進む。でないと、ついてこないと思う。次から次にいろんなことが起こって、なおかつ長さは長い、そういうふうにゲームのテンポを上げていくしかないですね。
糸井 僕が自分で考えている夢のゲームも、そういうかたちなんです。そういう意味ではIIも、作る立場で考えると舞台設定がよくできている。つまり戦士だからこそ「たて」があり「よろい」があり「かぶと」があり「つるぎ」がある。これだけ四つのものをラインナップするのは、現代劇ではなかなかできないですよ。
堀井 そうなんです。しかも、現代劇で敵が人間だとどうもナマナマしくなる。怪物が相手ならまだいいでしょう。それに「殺した」という表現を使いたくなかったんですね。だから「やっつけた」




糸井 僕はいま二度目をやってるんだけど、そういえば前にここで死んだっけな、だって。(笑)でも“死ぬ”ことがもう少し大事にされると面白いのにね。いちど死んで生き返ると、それまでせっかく貯めたゴールドが半分になるんだけど、「まだお金が貯まっていないから、死んでもいいんです」なんて言うやつがいたりするわけ。でも、それは違うんだよ。死なないようにふんばらないとダメなの。遊びだって「死」は「死」なんだから。そのあたりが、ちょっとね。
堀井 そこはけっこう悩んだんです。でも死ぬことがあんまりデメリットになると、今度は難しくなり過ぎて投げちゃう。死んだら装備や強さのレベルも剥奪して、まったく最初の状態に戻しちゃおうかとも思ったんですけど、いろいろ考えて、結局一番甘い“ゴールド半分”だけにしちゃった。とりあえずついてこれなくて、死んでも死んでも、いずれはなんとかなるというね。
Iのときにも死ぬのを手段にするやり方がけっこうあったんですね。レベルを上げるためだけに竜王の壇上に行って、適当に上がると死んで戻るとか。作者としては、けっこう悲しい思いをしたんですけど。




糸井 「ゼルダの伝説」で、たくさんある墓石をひとつひとつ全部当たってみたりするところがあるでしょう。ああいうやり方は、僕はしたくないんですね。しらみつぶしというやり方は、ほんとうに追いつめられたときだけ、知恵がなくなったときだけにするもので、たとえばIの「たいようのいし」の謎が解けなくて見つからないときとか――
堀井 あれはみんなたいへんだったみたいね。僕としてはすぐに見つかると思ったんだけど。
糸井 前の謎解きの応用なんですね。でも、わからなくて僕は全場所を調べたけれど、「ドラクエ」のときには、そういう空しい作業をしているのは、自分が間違っているからだと思いながらやれた。ところが「ゼルダ」で墓石を全部調べるのがアタマにくるのは、それが唯一の方法だからなんですね。ああいうの、大人は喜ばないとおもうなあ。
堀井 子供は喜ぶでしょうね。子供って、隠してあるところから見つけるのが好きだから。
糸井 でも、「ドラクエ」には、そういうのないでしょう。
堀井 僕は入れたくなかったから。
糸井 そこのセンスが、やっぱり僕と合ってたんですね。
堀井 逆に言えば、難しい謎をいかに簡単に解かすか、が勝負なんですね。誰にでも分かるけれど、わかったと同時に、これは自分にしかわからなかっただろうと思わせるぐらいの難しさね。でも、ほんとはみんなわかってる。だから、謎が解けた段階で、なんだこんなのわかるわけないじゃないかと思われたらダメなんです。ああ、そうかって思えないと。
糸井 ゲームデザイナーって紳士じゃないとダメなんですね。ジェントルマンじゃないと。で、それの裏をかいたのが「たけしの挑戦状」。もう、まるっきり紳士じゃないわけ。もちろん、それはそれで他のゲームをやりあきた人には面白いだろうけれど、やっぱり付き合いきれないね。極端に言うと、全部隠れキャラみたいなもので出来てるわけだから。




編集部 糸井さんのゲームは、実現しそうですか。
糸井 メモはどんどん出来てて、面白いと思うけど、具体的にコンピュータに入れる場合の収拾のつけ方を知らないから、そこがたいへんだろうと思いますね。でも、もう結末も出来てるし、途中の仕掛けもあるし、人と人との関係もけっこういい。堀井さんもまだやってないいいアイデアも一個あるんだ。
堀井 話さないでくださいね。(笑)
糸井 ゲームには全然関係ないことなんだけど、昔、鈴木慶一がやってたことがあってね、それをパッと思い出したの。でも、そういうアイデアって、まだいっぱいありそうな気がする。




糸井 いままで「ドラクエ」をさんざんやって、すごいなと思ったのは、抵抗値の問題なんですよ、感情の抵抗があるところを乗り越えるのが面白い。だから、その抵抗の与え方が夢があって、前向きだったら、それだけ面白いというか、ひどい目に会える。「マリオ」的なアクションはカフカなんです。そうじゃなくて、因果応報じゃないといけないの。因果応報で、人類全体が共通して感じられることでないと。そういうものが、たぶんあると思うんだよね。たとえば、「ドラクエI」でいうと、“愛”の使い方。そのあたりにカギが山ほどあるんじゃないかな。“ロトのつるぎ”じゃないといけないなんてことも、“血”の問題でしょ、言ってみれば。で、それは決して堀井さんが意識して作ったんじゃなくて、一種のユング的なものから来てるんじゃないか。血縁の問題だ、なんて説明してたらキリがないし、ロトのつるぎじゃないといけないとなんとなく思うことが重要なんだから。僕も自分で考えてるのはユングです、どう実現するかはわからないけれど。


(太字強調は管理人によるもの)




(以下管理人)

対談ではあるものの、とにかく糸井重里がDQの素晴らしさをほとんど一方的に喋っており、堀井は聞き手に徹しているような印象である。対談の最後になるとユングがどうたらこうたら、もはや何を言っているのかサッパリ分かりません。
糸井の発言のところどころにゲームの構想らしきものが披露されているが、後日、彼が「MOTHER」の製作に携わるのは周知の通り。最初は直々に任天堂にRPGの企画を持ち込んだところ、宮本茂にダメ出しされたという逸話もある。

「広告批評」誌は惜しくも2009年で休刊、主宰の天野祐吉も2013年に逝去された。天野氏のDQに対する並々ならぬ情熱は特筆すべきものがあるため、別の機会を設けてご紹介したい。

「広告批評」誌のバックナンバーは国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、大きめの公立図書館や大学図書館でネットを通して閲覧できる。もちろんこの特集も閲覧可能なので、興味のある方はどうぞ。

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