'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (3) 高橋源一郎 鴻上尚史 いとうせいこう



広告批評’87年7月号 特集 ファミコン大研究

高橋源一郎、鴻上尚史、いとうせいこうがドラゴンクエストを語る
 (要約)


広告批評 記事リンク


'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (1) 堀井雄二×糸井重里 対談 テレビゲームに何ができるか
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'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (2) 鳥山明 すぎやまこういち 中村光一 インタビュー
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'87年7月 広告批評 特集ファミコン大研究 (3) 高橋源一郎 鴻上尚史 いとうせいこう
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'88年3月 広告批評 堀井雄二インタビュー “もう一つの人生”の共同製作者です
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『広告批評』主宰者 天野祐吉が語るドラゴンクエスト
http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-13.html







高橋源一郎(作家)


冒険の旅に出て怪物をやっつけて、いくつかの謎を解いて、強くなっていって竜王を倒す――それのどこか面白いかというと、いわゆる“ストーリー”の面白さではないと思います。

確かに「ポートピア連続殺人事件」は面白いけれど、それだって推理小説と比べたら、それほど複雑なものにはなりっこない。だから、小説で言う“ストーリー”を、ファミコンにそのままあてはめて考えちゃダメだと思います。

「ドラゴンクエスト」の場合、よくできてると思ったのは、1と2の間に連続性があるんです。つまり1で出てきた主人公の子孫が2の主人公なんだけれど、2のマップの中に1の世界も含まれていて、その地へ行くと、昔のテーマ音楽が出てくる。すると、思わず胸にこみあげてくるんですよ。ああ、ここで戦ったんだと。どういうステップを踏んでいったら興味を持続できるか、その工夫の仕方が、ストーリーと言えば言えるでしょうね。

言い忘れていたので付け加えますけど、ファミコン・ゲームのストーリーはすごく単純だって言いましたね。でも実際にやっていると、そんなに単純な気がしない。それは本や映画の中のストーリーがどんなに複雑でも、読者や観客である我々と没交渉の平面的な存在であるのに対して、ゲームのストーリーには我々が入る余地があるってことです。どんなにチャチなものでも、参加することがこれほど面白いとは、僕も思いませんでした。この場合、ストーリーが単純であるだけ、参加しやすくなっていることも忘れてならないでしょう。








鴻上尚史(第三舞台主催)


「ドラゴンクエスト2」で、三人目の仲間になるはずの王女を探しててある街へ行くと魂がさまよってる。何だろうと思って話しかけてみると、それが王様の魂で、「我が娘は犬に変えられてしまった。なんと悲しいことじゃ」と言っている。

三人パーティーになって、これで普通はそのまま次の旅路に出発するんだけど、僕なんかは完全に感情移入してるから、「やっと呪いをといてあげたんだから、成仏できないでいる王様の魂に合わせに行こう」と思うわけ。それでまた王様のところに行くと、また「我が娘は犬に変えられてしまった…」というセリフが出る。

それに王女が「お父様、私はここにいます」と話しかけると、王様が「そこに誰かいるのか。もうわしには、何も見えぬ、何も聞こえぬ」と言って終わる――これはスゴイよね。王様のところへもう一度行く人がいるということを読んだ上で、そこでのやりとりまで作ってある。この会話を見たとき、なまはんかなことじゃこのソフトには勝てんな、という気がすごくしたの。








いとうせいこう(クリエイター)


「ドラクエ2」で関心したのが第二王子の性格設定。私のソフトではランド王子っていうんで以下ランドと呼びますけど、あのランドはほんとうまくできてますよ。

主人公のレベルがあがっていくRPGで、ちょっと出来の悪い弟みたいなヤツがいるっていうのはね、物語に没入させるいい仕掛けだと思いませんか?

“寄り道が好き”だったりしてさがしあてるまでイライラさせるっていうのも弟的な印象を与えるのには最適の設定でしょ。幽閉されていた王女をみつけるとランドより出来がいいんですから。どんどん魔法を覚えるんですから。これはどうしたってバカタレって思いますよ。

だけどね、だけど、ゲームが大詰めを迎える頃になると彼の成長ぶりが頼もしくなってくるわけです。出来がよくって大事な王女の命を回復するには彼のホイミやベホイミが重要なんですから。ここでも巧妙なのは、その生命回復の魔法を王女も持っているということですよ。それどころか彼女は、もっと回復パワーの強いベホマが使える。

ランドは一見それほど頼もしくないんです。だからこそ、戦闘中に頼もしく見える瞬間がより印象的になってくるわけです。ランドだけが使える魔法も、たとえばルーラなんていう“もといた場所に帰れる”どちらかというとうしろむきなものだったり、メガンテという、いざって時の自己犠牲的なものですからね。

こうみていくと、「ドラクエ2」というソフトはどうでもよくみえてたランドのビルディングス・ロマンを抱えこんでいるんです。









(以下管理人)

当時のサブカルチャーの旗手であったそうそうたるメンバーによるDQ評です。経歴を簡単に紹介すると、高橋源一郎は作家・文芸評論家であり、88年に三島賞、2012年に谷崎賞を受賞。今や文学界の巨匠ですが、当時はサブカル寄りの一風変わった作家・評論家として認知されていたと思います。

いとうせいこうはおカッパ頭のタレント、そして日本にヒップホップを広めた功労者です。'88年にはRPGを題材とした小説「ノーライフキング」を刊行し、高い評価を得ました。今では彼も芥川賞の候補に二度選出されたベテラン作家です。

鴻上尚史は「第三舞台」を主宰する劇作家であり、「鴻上夕日堂」で一世を風靡した名エッセイストであり、ドラクエ公認歌手です。オールナイトニッポンでDQ2の特集を組んだと思えば、DQ3の曲に歌詞をつけてレコードを出したり、DQ3のアッサラームの街に出てくる“東に行けなかった座長”のモデルにもなりました。でも、後年「GOD~目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」というゲームを手掛けたのは黒歴史となっているようです。

三者三様で鋭いDQ論を述べていますが、中でも鴻上尚史の指摘がDQの特色を端的に言い当てていると思います。
滅ぼされたムーンブルク城に王女を連れて行くと、彼女と父親の会話を見ることができますが、ゲームの進行上では王女を仲間にしてからムーンブルクの城に行く必要はありません。でも、想像力を働かせて「王女を王様の魂に会わせたらどうなるんだろう」と気づいたプレイヤーだけが見ることができます。高橋源一郎も「ゲームのストーリーには我々が入る余地がある」点を評価しています。プレイヤーの想像力を重視し、プレーヤーの行動を想定してこっそりとイベントを仕込んでおくのが、堀井雄二がシナリオを手がける上で特にこだわっている要素ではないでしょうか。

初期のドラゴンクエストはハードウェアの制約のため、単純なシステムと限られたメッセージ、そして貧弱なグラフィックで構築されていました。それでも、モニターの中に無限に広がる世界は多くのプレイヤーの感性を呼び覚まし、一流クリエイターにも多大なる衝撃を与えたのです。

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