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エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテスト(後編)  そして伝説へ…








前編 (http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
中編 (http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-91.html


堀井雄二、中村光一、森田和郎、芸夢狂人。

当時のパソコンゲームの逸材が一同に集った。
コンテストで集められた若き才能たちは、エニックスのもとで新たなゲームソフトを開発し、世に送り出していく。
だが、ハードウェアの進化は著しく、ユーザーに求められるゲームも移り変わっていた。


そして彼らは、新たな旅立ちの時を迎える。



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エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテスト(中編) 導かれし者たち







(前編 http://dragonquestage.blog.fc2.com/blog-entry-90.html


エニックスの歩みと堀井雄二の受賞経緯に続き、今回はゲーム・ホビープログラムコンテストで入選した3人の人物を取り上げる。
後にチュンソフトを設立し、堀井雄二とともにドラゴンクエストの制作を手掛ける中村光一、最強将棋ソフトのプログラマーとして名高い森田和郎、そして当時のパソコン少年に絶大なる影響を与えた人物について。


エニックスの挑戦を受け、スタープログラマーたちは立ち上がった。



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エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテスト(前編) 全てはここから始まった





あなたは、ニュースター第1号

今やアメリカでは、ベストセラー・ゲームを
プログラムした“若きソフトウェアのニュースターたち”が
続々と誕生し、印税だけで巨万の富を得ている。
彼らは、人気ロック歌手と同様にファンを引付け、
若者たちの憧れの的になっている。
日本のコンピューター・ゲーム界も同じような
現象が起きる。あなたがプログラムしたゲームが、
あなたの名前と共に、日本中を魅了することになるのだ。

さあ、その第1号。
このコンテストに全力で賭けてみないか。

賞金総額300万円
最優秀プログラム賞……100万円(1名)
優秀プログラム賞……50万円(2名)
入選プログラム賞……10万円(10名)


募集期限=昭和57年12月20日
募集内容
a)ゲームホビーに限ります。
b)作品は、新聞雑誌に未発表で販売流通していないオリジナルに限ります。
c)使用機種は、パソコン・マイコンと呼ばれているものすべてOKです。
応募方法
a)個人、グル―プどちらでもけっこうです。
b)所定の申し込み書と、プログラムが入っているテープ又はディスケットを添えて、お送りください。
尚、申し込み書は主なマイコンショップ店頭で
または、下記へハガキもしくは電話でご請求ください。
〒160 東京都新宿区西新宿7-15-10 電話03(366)4251(代)
(株)エニックス プログラムコンテスト事務局(高野・千田まで)
c)応募作品の著作権は当社の帰属となりますが、当社規定に従い印税をお支払いいたします。
発表
a)昭和58年1月15日 朝日新聞紙上
b)昭和58年2月1日以降に発売される主なマイコン専門誌上。
c)主なマイコンショップ店頭
※入賞者には直接通知いたします。

主催=(株)エニックス




当時のパソコン業界では全く名が知られていなかった新興企業・エニックスが主催したこのコンテストは、のちにドラゴンクエストの中核となる人材である堀井雄二、中村光一の両名を発掘するという見事な成果を収める。
それのみならず、このコンテストはコンピューター・ゲームの制作者を尊重するという点において、日本のコンピューター・ゲームの発展に多大なる影響を与えた。
当エントリーではこの『エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテスト』を参照し、ドラゴンクエストに至るまでのエニックスの歩みとコンテストの入賞者たちに焦点を当てて、その功績を振り返る。



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水晶のドラゴンクエスト ~ または「あぶないみずぎ」に関する一考察






1986年12月、当時はまだ新興のゲームソフトメーカーであったスクウェアから「日本初のアニメーションアドベンチャーゲーム」と銘打たれたファミリーコンピュータ・ディスクシステム用のソフトが世に送り出された。


当時のスクウェアの技術を結集したソフトであったにも関わらず、発売後の評価は芳しくなく、SFを基調としたストーリーも、「水晶の龍」が何を意味するかも、そして「シンシア」がどういう存在なのかもさっぱり知られていないが、ゲーム雑誌の記事によってゲーム内では発生しない偽情報が広まり、「犯人はヤス」と並んで、プレイしたことがない人にも特定のネタだけは知られているゲームである。


このクソゲー不遇の作品に関して調査研究を重ねた結果、ドラゴンクエストとの意外な接点が明らかになった。


水晶の龍


水晶のドラゴン


そして、ロリコン



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制作者の発言で振り返る『ドラゴンクエスト2への道』






当エントリーでは、堀井雄二、中村光一ら制作者の発言を引用し、「ドラゴンクエストII」の制作過程のエピソードを紹介する。特に中村光一にとってドラクエIIは不満が残る出来であったらしく。開発時間が足りず、チュンソフト内で軋轢が生じ、相当なプレッシャーの中で制作され、発売から十数年後に行われたインタビューでも「いまだに夢に見る」と、苦悩の跡が伺える発言をしている。

一方「ドラゴンクエストII」は難易度の高さが度々話題になるが、ナンバリングの中では特に印象に残っているタイトルとして、今も根強い人気を誇っている。制作者にとって不満が残るゲームが、今だに多くのプレーヤーのを惹きつけているのは何とも皮肉な話である。

中村をはじめとする制作者の苦闘を通して、今一度、「ドラゴンクエストII」という傑作ゲームを異なる視点から眺めて頂ければ幸いである。



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