'96年4月 ゲーム批評 堀井雄二 今だから語れるドラゴンクエスト




ゲーム批評 Vol.8(1996年4月号) 堀井雄二 今だから語れるドラゴンクエスト


「広告を一切掲載しない」という方針で異彩を放っていたゲーム雑誌『ゲーム批評』。大手ゲームメーカーのソフトであっても、完成度が低ければ容赦なく批判を加えるなど、独自の編集方針を貫いていた。創刊当初はスーパファミコン末期から次世代機に移行する時期であり、プレーヤーが“演る”のではなく“観る”方向に軸足を移していた、いわゆる「ムービーゲーム」に批判的であり、あの「ファイナルファンタジーVI」に対してもNOを突きつけ、「RPGとは何か」という問題提起を読者に示していたと思う。

これは、ドラゴンクエストVIの発売から約5ヶ月後に掲載されたインタビュー記事である。ドラクエVIの発売直後はプレーヤーからの批判的な意見が多く、それに対して堀井が辛辣な反論を試みているのが面白い。他にも、堀井雄二のドラクエ・RPG観、映画や小説とゲームの違い、過去のタイトルの総括、ドラクエVIの味わい方など、ファンであったらとても興味深い内容が語られている。いずれもドラゴンクエストの創作背景を考察するにあたって非常に重要だと思うので、要約ではなく全文を転載する。

なお、このインタビュー記事には、ストーリーの“当初の構想”(裏設定ではない)が含まれており、ストーリー考察ブログでも一部が引用されている。このエントリーにおいても注意書きを付した上で引用するが、管理人の希望としては、ストーリーの部分よりも、堀井の創作背景に注目して頂きたい。

文章内の下線強調表記は全て管理人によるもの。また、読みやすさを考慮して、適宜改行を加えた。



続きを読む
関連記事
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

ドラゴンクエスト2 幻のバッドエンディング さようならサマルトリアの王子





また、ボツになったが、こんなアイデアもあった。
それは、2番目の王子(サマルトリアの王子)が犠牲となって、最後の敵を倒すというものである。
目的は果たしたが、もはやサマルトリアの王子は戻らない。
彼の冥福を祈りながら、キミはムーンブルクの王女と2人で帰路に……。
お城では人々が待ちかまえ、キミたちの偉業を心から称えてくれる。そして、一大セレモニーが開催される。
と、その時!

お兄ちゃんの仇っ!

駆け寄ってくる1人の少女。
気づくと、少女の持った短刀が、キミの胸に深々と刺さっていた。
キミの身体は、やがて、ゆっくりと倒れてゆく。……幕。
と、この結末はあまりに悲しすぎるので結局やめてしまったのだった。
でもなんとなく、こういった雰囲気も捨てがたいので、いずれ機会があれば、ひたすら美しく悲しい涙、涙のRPGをつくってみたいと思う(実現するのはいつのことになるか、わかんないけど……)。
ゲームをしながら思わずボロボロと泣いてしまう。そんなゲームがあったっていいだろう。

(ファミコン通信 '87年7月10日号『ドラゴンクエストIIができるまで 後編』)



それでは、ドラゴンクエストIIの幻のバッドエンディング。

脳筋棺桶犬コロの悲しい別れの物語をご覧ください。




続きを読む
関連記事
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
(この一行は、各ページ下部に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)