
また、ボツになったが、こんなアイデアもあった。
それは、2番目の王子(サマルトリアの王子)が犠牲となって、最後の敵を倒すというものである。
目的は果たしたが、もはやサマルトリアの王子は戻らない。
彼の冥福を祈りながら、キミはムーンブルクの王女と2人で帰路に……。
お城では人々が待ちかまえ、キミたちの偉業を心から称えてくれる。そして、一大セレモニーが開催される。
と、その時!
「お兄ちゃんの仇っ!」
駆け寄ってくる1人の少女。
気づくと、少女の持った短刀が、キミの胸に深々と刺さっていた。
キミの身体は、やがて、ゆっくりと倒れてゆく。……幕。
と、この結末はあまりに悲しすぎるので結局やめてしまったのだった。
でもなんとなく、こういった雰囲気も捨てがたいので、いずれ機会があれば、ひたすら美しく悲しい涙、涙のRPGをつくってみたいと思う(実現するのはいつのことになるか、わかんないけど……)。
ゲームをしながら思わずボロボロと泣いてしまう。そんなゲームがあったっていいだろう。
(ファミコン通信 '87年7月10日号『ドラゴンクエストIIができるまで 後編』)
それでは、ドラゴンクエストIIの幻のバッドエンディング。
脳筋、
棺桶、
犬コロの悲しい別れの物語をご覧ください。
破壊神の圧倒的な力を前にして、万事休す。もはや残された手段は……一つしかない。
よし、
最終兵器・棺桶一号の出撃。命令だ、全力で特攻しろ。後で生き返らせてやるから。
棺桶一号が見事に命中、破壊の神もあっけなく砕け散った。
役割を果たした兵器もバラバラになって息絶えた。後でくっつけてやるから、もう少し我慢しろ。
破壊神を破壊した男。もはや棺桶王子こそが破壊神の名にふさわしいのだ。
彼の尊い犠牲によって世界の平和は取り戻された。さあ、精霊ルビス様の力で生き返らせてくれ。
三人の体が光りに包まれると……え? そのまま昇天しちゃったの? マジ?
ハーゴンの居城が消え、二人の姿だけが残された。さようなら棺桶王子、君のことは忘れないよ。
サマルトリア王に息子の死に様を報告。自ら進んで特攻したんだよ。僕が命令したんじゃないよ。
絶対に許さない……って、どうやら妹にはバレているらしい。兄の魂が知らせたのだろうか。
ローレシアに凱旋。彼のことは一刻も早く忘れよう。これからは王女と二人で平和を守るのだ。うぷぷ。
王位を継ぎ、皆に万歳三唱で迎えられる。その時、一人の少女が駆け寄ってきた。
鬼のような形相で彼女は叫び、僕の胸に深々とナイフを突き立てる。
胸から熱い血しぶきがほとばしり、僕はゆっくりと床に崩れ落ちる。
ごめん……棺桶……僕もそっちに行くよ。さようなら、王女……
THE END
没ネタとなったバッドエンディングを再現してみました。泣けますね。因果応報ですね。
堀井雄二がこのようなバッドエンディングを思い描いていた理由として、次のいずれかが推測できる。
(1)堀井の悲劇趣味。ドラゴンクエスト2の発売直後のインタビューでは「やたら不幸になるゲーム」を作ってみたいと口にしている。彼は学生時代に演劇に傾倒した時期もあり(卒論は演劇論)、悲劇的な要素をゲームのシナリオにも取り入れたいと思っていたらしい。ドラゴンクエスト3以降のシナリオにおいても、随所で悲劇的なエピソードが挿入されている(IVは特に顕著ですね)
(2)各キャラクターの境遇のバランス。ストーリー上では、ムーンブルクの王女だけが故郷をハーゴンの軍勢に滅ぼされ、さらに彼女自身も姿を犬に変えられて塗炭の苦しみを味わうことになり、ハーゴンを討伐した後もムーンブルクは元に戻らない。二人の王子たちと比べてあまりにも不幸すぎる、どうせなら、この不幸を奴らにも味わわせてやりたい。というわけで、一人は自決、もう一人は復讐の刃に倒れるという展開にして、エンディングでみんな仲良く不幸になりました。
(3)
単なる思いつき、冗談。これが一番可能性が高い。
このバッドエンディングの構想は、PC雑誌『ログイン』の連載エッセイ『虹色ディップスイッチ』で明かされたが(後にファミコン通信の記事として転載)、後年に刊行された単行本『虹色ディップスイッチ』(アスキー 1990年)では、ドラゴンクエストII開発秘話は掲載されているものの、
このバッドエンドの部分はカットされている。
単行本化にあたって、没ネタと言えども公表することによってゲーム全体に対する印象を揺るがしかねない、と判断したのかもしれない。だが、四半世紀の時を経て、埋もれたネタを掘り返して画像で再現しようとするヒマな奴が出てくるとは夢にも思わなかっただろうな。
最後に、みんなで記念撮影。
めでたし、めでたし。
おまけ
Illustrated by
三船